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こじこじ丸

Author:こじこじ丸
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進む為に。

長らく放置しましてすみません。
ですがさらにすみません。
本来ここに書くべきではない事をこれから書きます。
このブログの意図とは異なる記事になりますが、自分の気持ちの整理の為
あえて残しておこうと思います。
他人様が知って、楽しい話では無いので、どうぞスルーしてください。
気持ちが沈むに違いない話です。

相変わらずたたむ方法がわからないので、下に続けます。



































前回の記事で、くも膜下出血で先輩が倒れたと書きましたが、その先輩が治療の甲斐なく亡くなりました。まだ43歳でした。手術から1週間経って、意識は戻らないままでしたが、ようやく集中治療室から一般の病室に移れそうだという話と聞いたばかリでの出来事でした。朝、普段通りに出社すると、たまたまその日休みを取っていた課長からメールが来て、何気なく開いたら「今朝亡くなった」と。まだ御家族も落ち着かないだろうとお見舞いに行く事も出来ず、でも、そこまで逼迫した状態だとは全く思わずにいた所への知らせでした。あまりのことで、最初はただ茫然として、そして同僚と泣きました。

この先輩とは、先輩とはいえ同じ会社で働いたのはほんの数年でした。私が入社した当時、2年先輩に彼女が居て、正直私は彼女の事が大嫌いでした。新人の私にとって、あまりに歯に衣着せぬ彼女の発言は怖くて、腹立たしくて、彼女が他の課に異動になると聞いた時には、腹の中で大喜びしたものでした。なので、同僚として働いていた当時の記憶に良いものはほぼありません。その後、彼女とは接点が無くなり、私としてはホッとしていたところ、年数を経てまた彼女がフリーで働く人として立場を変えて私の前に現れました。・・・そんな、何を大げさな、という感じですが、本当に嫌だったんです。ですが、お互いに歳をとり、それなりに成長したせいでしょうか、初めは物凄く緊張して、警戒していたのですが、いつの間にか自分の中にあったわだかまりは無くなり、普通にいっしょに居られるようになっていました。とはいえ、私と一緒に仕事をする機会はほとんどなく、課長の仕事を手伝う彼女を見ているような事がほとんどでした。その関係が今ガラッと変わったのは今年の事です。彼女はフリーとして働く中で、プランナーとしての活動もしており、今年はプランナーとしての彼女に指名されて、年始から一緒に動き始め、計3本の仕事をさせて貰ったのです。都合5カ月ぐらい一緒に仕事をしていた感じになります。これらの仕事をやる中で、毎晩のように2人で飲みに行ったり、雪の中高速バスに朝から晩までカンヅメにされたこともありました。でも、それが全然苦ではなくなっていたんです。好き嫌いの激しい私にしては、こんなことは滅多に無い事で、自分でも驚くぐらいの変化でした。彼女がとても私の事を買ってくれているのがわかり、だからこそ、その信用を落とすまいと私も必死でした。でもきっと、これからもこうやって仕事を貰って一緒にやっていくんだろうな~と思っていました。
それなのに。「志半ば」というには余りにも早過ぎます。

新潟での葬儀にも参列し、私なんかがそこまで入り込んで良いものかと思いましたが、遺骨も拾わせていただきました。まだ若いし、長く患った訳でもないので、それはそれはしっかりとした、真っ白なお骨でした。いつも強気な先輩でしたが、実はとっても照れ屋で恥ずかしがり屋なので、皆に死に顔を見られたり、お骨まで見られたりするなんて、きっと物凄く嫌がってるんじゃないかな、とか思いながら参列しました。

今回の事で私が一番ショックだったのは、彼女の死に顔が、いつもの彼女ではなかった事でした。倒れた時点で元の仕事には戻れないんじゃないか、という話は聞いていたんですが、そのお顔は完全に麻痺の出ている顔でした。
私は全然甘かった。現実を見れていなかった。そんなに大したことじゃないと思いたかった自分の認識が間違えていたことを間の前に突きつけられた感じでした。

彼女のお母さんの言葉で凄く残っている物があります。「娘は18歳までしかウチに居なかったので、その後の事は知らないんです。小さい頃なんて5歳ぐらいからしか記憶なんて無いんだから、娘には私達との記憶なんて13年分ぐらいしか無いんです。それでも私と娘は似てますか?」って。あぁ、ホントにそうだって思うと同時にとても切ない言葉でした。彼女は一人っ子で独身だったので、御両親の悲しみは計り知れないものだと思います。それなのに、わざわざ東京から来て下さって・・・と私達にまで気を使い、気丈にしてらっしゃいました。その中でのこの言葉に返す言葉が見つかりませんでした。意識が戻る事は無かったので、最後に言葉を交わす事も出来なかったんのですよね。御両親にも先輩にも心残りがたくさんあるだろうと思います。御両親の姿に自分の親がダブって見えました。いくつになってもどこに行っても親は親なんですよね。

今、私の周りには今年出来た彼女との想い出の物がたくさんあります。仕事で一緒に外回りをしている時に見立てに付き合って貰って買ったバッグや、突然「何色がいい?」と聞かれて「1件仕事が片付いたお礼」にと貰った本革の靴の携帯ストラップや、自分が気に入ったからといきなり手渡されたおろし金や。あれ?なんだか貰い物ばっかりだ。彼女が物をくれるのは、照れ屋の彼女なりの好意の現れなんだと私は嬉しく受け止めていました。でも、よくよく考えれば私からの発信は何もしていなかった。自分から飲みに誘った事も無かった。倒れた数日前、ふと飲みに行かないかな~?と思ったのに実行しなかった。思えばきりがありません。人の命って儚いものだと知りました。明日は必ず来るものではないんだと知りました。何故人はこんなに必死に生きるんだろうと考えさせられました。何故生まれて来たんだろうと考えました。まだなんだか実感出来ていない部分もありますが、自分を認めてくれた人が居た事を自信に変えて、頑張ってみようと思います。

近々形見分けをして頂けるようです。そうしたら、彼女が育てるはずだった革のブーツを分けていただいて、彼女に代わって大事に育てていこうと思っています。






長々と思いつくまま失礼しました。
次回からは通常運転で参ります。

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テーマ : ひとりごと - ジャンル : 日記

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